内容紹介
AI時代、人からの学びが人を、組織を育てる
優しいだけでもダメ。叱るだけでもダメ。
どうすれば、指導者は選手を、組織を成長させることができるのか? 向き合い続けた平石洋介が綴るその作法は「平石洋介を作らない」。
ともに戦った、星野仙一、野村克也、工藤公康、辻発彦……名将たち、松井稼頭央、浅村栄斗、柳田悠岐……名プレイヤーたち。実績を残せずとも心に残る多くの指導者、選手たちに学び、生かそうとしたこととは?
39歳で東北楽天ゴールデンイーグルスの監督となった平石洋介。その後も、福岡ソフトバンクホークス、埼玉西武ライオンズのコーチとして請われてきた。
「年齢関係なく、意見ができる」
PL学園の先輩で楽天時代のチームメイト、その後はコーチと選手、さらにはヘッドコーチと監督というさまざまな関係性を築いた松井稼頭央は平石をそう評価する。
選手にも慕われた。「辞めないでください」行く先々でかけられた。
平石洋介が多くの選手、チームに信頼された理由。
それが「本気で人に、チームに向き合う」なかで「長所」「短所」を見つけ、必要なタイミングで伝える、ことに腐心したことだ。
なぜそれができたのか? プロ入りまで中学生で大分から大阪に渡るほどの心意気で野球に没頭し、プロ入り後は多くの失敗を経験して「人に学んできた」。そこから導き出された人生の在り方と、頼られるリーダーのあるべき態度。
目次
はじめに
プロローグ「衝撃の人」
(2011年プロ7年目/東北楽天ゴールデンイーグルス)
闘う指揮官・星野仙一の「怒号の真実」
「宮城県で大きな地震があったらしい」
「野球をやっている場合ではない」
「この人とは、無理だ」
「平石をクビにせぇ」
「あのときは、ああすべきやと思った」
第1章「憧れの人」
( 2022~2024年 コーチ/埼玉西武ライオンズ)
敬愛する監督とヘッドコーチの葛藤
「もったいない」
「おはよう」
「アカンって言うのは簡単やないですか」
「平石は、鬱陶しいな」
「あんまり、いい話じゃないかもしれません」
「お前まで辞めたら、残された選手はどうするんや」
「お前の気持ちはわかるんだけど」
第2章「実績の人」
( 2022~2021年 コーチ/福岡ソフトバンクホークス)
常勝軍団の内実と、求めた指導者像
「ずっと気になっていた」
「モノが違う」
「今を疎かにしたら選手生命は早く終わるよ」
「今、わからなくていい」
「バッティングピッチャーを育てるつもりで打て」
「わかります? 今、ちょっとヤバいんすよ」
第3章「信頼の人」
(2018~2019年 監督/東北楽天ゴールデンイーグルス)
39年の集大成「見る」「叱る」「戦う」
「俺がみんなを守らなあかん」
「感謝の気持ちだから」
「来年、監督をやってほしい」
「監督の言うことがわかってきました」
「状態の悪い、今が普通だ」
「堂々としていろ」
「思い切りえぐってこい!」
「それはボスの意見か?」
「誰がいいですか?」
「変わったことはありますか?」
「監督がそこまで言うならわかりました」
第4章「守りたい人」
(2012~2017年 コーチ/二軍監督/東北楽天ゴールデンイーグルス)
二度と「平石洋介」を作らない
「3日で決めろってことですね?」
「自分のような選手を作らないように」
「責任を持って仕事をせぇ!」
「やっぱり、平石さんいたわ」
「ラスト1試合で投げないヤツがおるかい!」
「これから食事がしたいと言っています」
「わかりました、監督」
「『どこでも投げます』って言ってこい!」
「監督、今日もお願いします!」
「これは覚えておけ」
第5章「助けられた人」
(2005~2011年 プロ野球選手/東北楽天ゴールデンイーグルス)
名将との「悔いしかない4年間」
「クリーニングは間に合わないので」
「代わりに打ってくれて嬉しいよ」
「指導者の言うことをやってたらあかん」
「お前なんか二度と使わん」
「自分を持たないとダメだからな」
「評価は、もう下がってんだよ!」
「あれではだめだ」
「自分の思った通りにやろう」
第6章 「軽やかな人」
(2003~2004年 トヨタ自動車時代)
名門の王道と、それ以外の道
「なんで知ってんの?」
「俺はPL出身だ」
「トヨタで社長にはなれない」
「誰か、電話に出てくれ!」
「ツーバンでもアウトになればいいですよね?」
「社会人って、面白いな」
「拍子抜けすることもいっぱいある」
第7章「志の人」
(1999~2002年 同志社大学)
松坂世代がもたらした財産
「あれ、監督?」
「それ以上にすごい投手を知っている」
「サークルにすればいいんじゃないですか?」
「これはもう、元には戻りませんよ」
「これでプロになれる」
第8章「覚悟の人」
(1993~1998年 八尾フレンド/PL学園)
唯一無二の夏、打倒・横浜の「たられば」
「まだいける」
「えげつなく鋭く曲がる」
「何事も男は覚悟ひとつやで!」
「心の底から言えてなかったよな」
「辞めたかったら、辞めれば」
「脱走したのは俺らじゃないのに……」
「大分に帰って、地元の高校で野球をやれ」
「しっかりとグラブの芯でボールを捕れ」
第9章「生かす人」
(1980~1993年 大分県杵築市/臥牛クラブ)
自然が育てた「小6」のプライド
「いやいや、ちょっと待って」
「入団テストだと思ってください」
「なにぃ!?」
「キャッチャーがやりたいです」
「こんにちは」が「ちわ」
「バケツ君」
「できるだけそばにいてほしい」
おわりに
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優しいだけでもダメ。叱るだけでもダメ。
どうすれば、指導者は選手を、組織を成長させることができるのか? 向き合い続けた平石洋介が綴るその作法は「平石洋介を作らない」。
ともに戦った、星野仙一、野村克也、工藤公康、辻発彦……名将たち、松井稼頭央、浅村栄斗、柳田悠岐……名プレイヤーたち。実績を残せずとも心に残る多くの指導者、選手たちに学び、生かそうとしたこととは?
39歳で東北楽天ゴールデンイーグルスの監督となった平石洋介。その後も、福岡ソフトバンクホークス、埼玉西武ライオンズのコーチとして請われてきた。
「年齢関係なく、意見ができる」
PL学園の先輩で楽天時代のチームメイト、その後はコーチと選手、さらにはヘッドコーチと監督というさまざまな関係性を築いた松井稼頭央は平石をそう評価する。
選手にも慕われた。「辞めないでください」行く先々でかけられた。
平石洋介が多くの選手、チームに信頼された理由。
それが「本気で人に、チームに向き合う」なかで「長所」「短所」を見つけ、必要なタイミングで伝える、ことに腐心したことだ。
なぜそれができたのか? プロ入りまで中学生で大分から大阪に渡るほどの心意気で野球に没頭し、プロ入り後は多くの失敗を経験して「人に学んできた」。そこから導き出された人生の在り方と、頼られるリーダーのあるべき態度。
目次
はじめに
プロローグ「衝撃の人」
(2011年プロ7年目/東北楽天ゴールデンイーグルス)
闘う指揮官・星野仙一の「怒号の真実」
「宮城県で大きな地震があったらしい」
「野球をやっている場合ではない」
「この人とは、無理だ」
「平石をクビにせぇ」
「あのときは、ああすべきやと思った」
第1章「憧れの人」
( 2022~2024年 コーチ/埼玉西武ライオンズ)
敬愛する監督とヘッドコーチの葛藤
「もったいない」
「おはよう」
「アカンって言うのは簡単やないですか」
「平石は、鬱陶しいな」
「あんまり、いい話じゃないかもしれません」
「お前まで辞めたら、残された選手はどうするんや」
「お前の気持ちはわかるんだけど」
第2章「実績の人」
( 2022~2021年 コーチ/福岡ソフトバンクホークス)
常勝軍団の内実と、求めた指導者像
「ずっと気になっていた」
「モノが違う」
「今を疎かにしたら選手生命は早く終わるよ」
「今、わからなくていい」
「バッティングピッチャーを育てるつもりで打て」
「わかります? 今、ちょっとヤバいんすよ」
第3章「信頼の人」
(2018~2019年 監督/東北楽天ゴールデンイーグルス)
39年の集大成「見る」「叱る」「戦う」
「俺がみんなを守らなあかん」
「感謝の気持ちだから」
「来年、監督をやってほしい」
「監督の言うことがわかってきました」
「状態の悪い、今が普通だ」
「堂々としていろ」
「思い切りえぐってこい!」
「それはボスの意見か?」
「誰がいいですか?」
「変わったことはありますか?」
「監督がそこまで言うならわかりました」
第4章「守りたい人」
(2012~2017年 コーチ/二軍監督/東北楽天ゴールデンイーグルス)
二度と「平石洋介」を作らない
「3日で決めろってことですね?」
「自分のような選手を作らないように」
「責任を持って仕事をせぇ!」
「やっぱり、平石さんいたわ」
「ラスト1試合で投げないヤツがおるかい!」
「これから食事がしたいと言っています」
「わかりました、監督」
「『どこでも投げます』って言ってこい!」
「監督、今日もお願いします!」
「これは覚えておけ」
第5章「助けられた人」
(2005~2011年 プロ野球選手/東北楽天ゴールデンイーグルス)
名将との「悔いしかない4年間」
「クリーニングは間に合わないので」
「代わりに打ってくれて嬉しいよ」
「指導者の言うことをやってたらあかん」
「お前なんか二度と使わん」
「自分を持たないとダメだからな」
「評価は、もう下がってんだよ!」
「あれではだめだ」
「自分の思った通りにやろう」
第6章 「軽やかな人」
(2003~2004年 トヨタ自動車時代)
名門の王道と、それ以外の道
「なんで知ってんの?」
「俺はPL出身だ」
「トヨタで社長にはなれない」
「誰か、電話に出てくれ!」
「ツーバンでもアウトになればいいですよね?」
「社会人って、面白いな」
「拍子抜けすることもいっぱいある」
第7章「志の人」
(1999~2002年 同志社大学)
松坂世代がもたらした財産
「あれ、監督?」
「それ以上にすごい投手を知っている」
「サークルにすればいいんじゃないですか?」
「これはもう、元には戻りませんよ」
「これでプロになれる」
第8章「覚悟の人」
(1993~1998年 八尾フレンド/PL学園)
唯一無二の夏、打倒・横浜の「たられば」
「まだいける」
「えげつなく鋭く曲がる」
「何事も男は覚悟ひとつやで!」
「心の底から言えてなかったよな」
「辞めたかったら、辞めれば」
「脱走したのは俺らじゃないのに……」
「大分に帰って、地元の高校で野球をやれ」
「しっかりとグラブの芯でボールを捕れ」
第9章「生かす人」
(1980~1993年 大分県杵築市/臥牛クラブ)
自然が育てた「小6」のプライド
「いやいや、ちょっと待って」
「入団テストだと思ってください」
「なにぃ!?」
「キャッチャーがやりたいです」
「こんにちは」が「ちわ」
「バケツ君」
「できるだけそばにいてほしい」
おわりに